Owner`s STORY
~父との想い出~

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父との想い出

私の父は60年程前、まだ国鉄だった頃に起きた鶴見事故という電車事故に遭遇した人でした。事故にあった後、目が覚めた時には右足は太ももから切断、さらにその時の輸血が原因でC型肝炎に感染したそうです。しかし幼い頃の私から見た父の姿は、障害があっても負けない人で仕事もバリバリとこなし、足が無くても自信たっぷりに生きていて、そんな父の姿を子供ながらにとても尊敬していました。幼い頃の私はずっと、どのお父さんも片足がないのだと思っていた程、周りのお父さんたちと変わりが無かったのです。
そんな父も年を重ねるにつれ、C型肝炎が肝硬変、肝臓がんと移行していき、治療によって苦しんでいる姿を幾度となく見てきました。最期も正気を失う程の痛みにもがきながら亡くなっていきました。父が陰で何十年も痛みと戦ってきたあの姿は、今でも私の脳裏に焼き付いています。父が亡くなった年、アメリカでは大麻をホスピスケアとして取り入れる州が出はじめ、CBDが急激に広まっていきました。その後、日本にCBDが輸入出来るようになったというニュースを耳にした時には「もう少し早かったら」という後悔の思いがあったと同時に、将来身内に何かあった時にはCBDを安全に使用させてあげられるよう、沢山勉強しようと思うようになりました。そして日本で同じ状況下にいらっしゃる方達、その周りで支えている方達のお手伝いもしたいとも思い始めました。

CBD製品を作ろうと思ったきっかけ

私が二人目の子供を出産後、体の痛みが止まらなく、整体などに通っていましたが、のちにCBDを試してみることにしました。
しかし、実際効いているのか効いていないのか、正直わからない感じで、「だったら自分で作ってみよう!」という次第になりました。
ここカリフォルニアは世界を代表する大麻の産地であり、業界トップなプロフェッショナルたちがたくさんいます。
そんな方たちとチームを作ることができ、CBDの効果といわれるものを十分に実感でき、かつ、原料や製造工程も安心していただける商品を生み出そうと思ったのがきっかけです。

渡米の夢とその後

小さいころからアメリカに憧れていましたが、移住する勇気もなく、夢をあきらめて日本で社会人になりました。
しかし、世界を見たいという私の夢は増していくばかりで、20代後半で移住を決断しました。
アメリカに住む日本人として何かできることはないか、移住してからずっと考えていました。
日本にいる頃から、アメリカの流行をとことん追ってきていた私、「アメリカから素晴らしいものを何か発信したい!」とずっと探していました。
移住したことそのものが、私がアメリカンドリームを達成した瞬間でしたが、CBDを通して日本の多くの方に情報を発信できたら、私のさらなるアメリカンドリームが達成します。